濱田雅子の服飾講座「服飾からみた生活文化」

シリーズ9

19世紀アメリカ、ローウェル工場の女子労働者の日々

日時:2016 年 6 月 25 日(土)  1:30~4:00

場所:ガレリアかめおか    3階第 4会議室 

〒621-0806 京都府亀岡市余部町宝久保1−1   

Tel 0771-29-2700

 

タイトル:

19世紀アメリカ、ローウェル工場の女子労働者の日々

 

産業革命の原動力となる繊維産業はアメリカ合衆国のニューイングランドを中心に発達しました。フランシス・C・ローウェルは、1813年から14年にかけて、マサチューセッツ州ウォルサムに機械織機を導入し、アメリカではじめて紡績と織布を同時に行う繊維工場の操業を開始します。ボストン生まれのローウェルは、1811年、健康のため、イングランドとスコットランドに航海しました。イングランドで工場を訪問中に、そこで使用されている力織機に感動し、彼は頭の中に力織機の構想を思い浮かべて、マサチューセッツに帰国しました。当時はイギリスの法律によって、織物産業に関するいかなる情報の輸出も禁止されていたため、ローウェルは何も書き留めることができませんでした。彼はボストンに帰り、莫大な記憶と数学的な知恵を駆使して、力織機の再発明に着手し、原型の英国モデルを若干改良したものを設計したのです。ローウェルは、1813年に出資者を募って、ボストン工業会社を設立し、翌年、彼が設計した機械織機を職人のポール・ムーディーに依頼して完成させました。

ローウェルの町はボストンの北西に位置し、人口は1830年で6,474人、1840年は20,796人と10年間に3倍以上も増加していました。この町には木綿製造会社4、毛織物製造会社1、その他帽子、石鹸等の工場が存在しており、この時の木綿・毛織物製造会社の労働者は3,226人でした。また5階から7階建ての巨大な赤レンガの工場をはじめ、学校、教会、小物や婦人用の帽子を売る多くの店があり、監獄、病院、劇場以外、旧世界の都市にある建物はなんでもある町といわれていたのです。

ローウェル工場の寄宿舎は、工場の立地が人口集中地域から外れていたという必要性から設置されたのですが、同時に工場が若い娘たちを道徳的に堕落させるものではないという宣伝効果もありました

ローウェル工場における労働環境や労働条件には種々の問題がありました。“Lowell Offering”は女工たちの執筆・編集による雑誌です。1840年から1845年に出版されたこの雑誌には、フィクションの形式で綴られた手紙や詩やエッセイが含まれています。そこでローウェル工場における労働環境や労働条件について、お話させていただくに当たって、Shirley Giffordによって書かれたフィクションの手紙を参加者の皆さんとご一緒に読んで、ディスカッションをしたいと思います。 英文の手紙文は、後日、お届けします。皆様のご参加をお待ちしています。

 

参考文献 濱田雅子著『アメリカ服飾社会史』(東京堂出版、2009)第5章

                    (文責 濱田雅子)