概要

 Joan Severa, Dressed for the Photographer, Ordinary Americans and Fashion (1840-1900), Kent State University, Ohio, Kent, 1995. p.592.

 

本書はJ・セヴラ女史(Joan Severa,1925-2015)30年と言う歳月をかけて取り組まれた大作で、アメリカの服飾研究者から高く評価されています。彼女はウィスコンシン・ミュージアム歴史協会の学芸員を30年にわたって歴任する傍ら、アメリカ服飾学会の理事や多くの博物館のコンサルタントとして活躍してこられました。

本書は、ミドルクラスや下層階級のアメリカ人たちが、ダゲレオタイプの銀板写真技術が導入された1840年から1900年の60年間に、記念写真や日常生活の写真に、どのような装いでおさめられたのか、かれらのバックグランドや服装のディテールの分析も含めて、マテリアル・カルチャー(物質文化)の視点から書かれた大作です。掲載された写真は何と277枚。服飾の専門家の視点で写真のなかの服装が的確に分析されています。ヨーロッパやアメリカの上流階級の装いを扱った書物は、沢山、ありますが、アメリカの庶民、すなわち、アメリカの民衆の装いを扱った書物は、J・セヴラ女史の上記の著作以外には、一冊もありません。

ダゲレオタイプ(Daguerreotype)とは、ルイ・ダゲール(Louis Jacque Mande Daguerre,1787-1851)により発明され、1839819日にフランス学士院で発表された世界最初の実用的写真技法であり、湿板写真が確立するまでの間、最も普及した写真技法です。銀メッキをした銅板などを感光材料として使うため、日本語では銀板写真と呼ばれています。銀板上に直接左右反転した白黒画像を得るダイレクトプロセスです。

この技術のアメリカへの導入と普及について、セヴラ女史はこう述べています。「1839年の晩秋、ルイ・ダゲール(Louis Jacque Mande Daguerre, 1787-1851)が開発した独自の手法による写真撮影[ダゲレオタイプ]の権利と装置を販売する公認代理人が、ブリティッシュ・クイーン号でニューヨークに到着した。ダゲールの業績はすでにアメリカでとてもよく知られており、多くの者がその権利の購入を申し込んだ。文字通り数週間のうちに、あらゆる都市や町で何百人もの駆け出し写真屋が店開きした。それは絶対確実な成功への道であった。1」ということです。

また、銀板写真の普及は、西漸運動に伴い、急速に進みました。

「実際、西漸運動によって肖像写真を撮ってもらう人は何千人も増えた。というのも、西へ向かう人びとは自分の写真を後に残し、家族や友人が写った貴重な写真をたずさえて行ったからである。アメリカでは1850年代までに、毎年およそ300万枚のダゲレオタイプが作られ(Taft 76)、それとともに価格は下がっていった。2」ということです。セヴラ女史は、現存する銀板写真を全米から収集し、こう述べています。「これらの古くなった写真はほんのわずかしか残っていない。とはいえ、これらの残存している映像は広範な社会的な基礎を包括しており、当時のマテリアルカルチャーの写真が非常に確かなまとまった情報を残してくれている3

 

本講演では本書において、10年単位で扱われている60年間(1840年~1900年)のアメリカの民衆の装いの紹介・分析を試みたいと思います。分析の視点は、アメリカ人がいかにヨーロッピアン・フレンチ・ファッションに憧れていたか、ヨーロッピアン・フレンチ・ファッションとアメリカンファッションの類似点と違いは何であるか、という点に据えられます。19世紀アメリカの民衆の生活文化を、装いを通して、ビジュアルに学ぶ、またとない機会です。知らないことを知る「知の楽しみを」エンジョイなさって下さい。

 

全体構成

1.ジョーン・セヴラ女史の写真資料を用いた研究方法

2.写真技術史の概要

3.19世紀ヨーロッパの服飾

4.1840年代アメリカの歴史的背景

5.アメリカの写真が語る民衆の装い―1840年代の民衆の生活文化を垣間見る―

6.19世紀アメリカの庶民服の実物調査からの報告

―ミネソタ大学Goldstein Museum of Designのコレクションから―

7.まとめ

 

 

【注】

1) Joan Severa, Dressed for the Photographer, Ordinary Americans and Fashion (1840-1900), Kent State University, Ohio, Kent, 1995, p.1.

(2)  Ibid., p.1, cited from Robert Taft, Photography and the American Scene,

   New York: McMillan Co., 1938, p.76.

(3)  Ibid., p.1.

 

 

  

自己紹介

濱田さん:今日は、学生さんでホームページを見て参加した方もいらっしゃいます。Joan Severaさんという方の紹介と分析を通じて近代アメリカにおける写真に見る風俗研究を論じていきたいと思います。率直なご意見をいただき、自分の再出発の機会にしたいと思います。

R.Y.さん:せせらぎ出版から濱田さんのご本を2冊出版しています。

M.M.さん:鹿児島の大学で指導していますが、大阪に住んでいます。飛行機で通っています。

A.N.さん:武庫川女子大で教育社会学が専門です。ジェンダーの研究をしていて、今も濱田先生にお世話になっています。

R.O.さん:神戸大の1年生です。ホームページから興味があり、応募して入っています。

S.H.さん:法政大の通信教育で史学科に属しています。服飾史に興味があります。

H.K.さん:大津市から来ていて、琵琶湖の近くに住んでいます。コロナ禍では、休みが多いですが、ツアーガイドをしています。Global Sessionははじめのころから参加しています。

K.O.さん:宇治市で小学校の非常勤講師をして7年目です。それ以前は、正規の教員をしていました。

S.T.(S.K.)さん:立命館守山高校の教員です。国際理解教育の分野でブラジル人学校なども訪問し、先日は漢字の勉強をしました。

R.S.さん:濱田さんのGlobal Sessionも何度目かです。ファッションの歴史ですが、いろいろな要素を含んでいて楽しみです。ひまわり教室(外国につながる子どもや保護者の学習支援教室)で指導をしています。

E.T.さん:以前、濱田さんの講座の時にはちょうど、仕事を代わったころでしたが、8月からは島津製作所で仕事をしています

鶴山さんには、亀岡国際交流協会との共催で、オンライン講座も含む準備をしていただいています。

 

講座開始

 

当日の感想発表から

S.T.[S.K.]さん)

「すごく興味深く見せていただきました。『風と共に去りぬ』や『大草原の小さな家』などを思い出しました。服装の自由は、人が初めて出会う「自由」というものかとも思いました。

もっと知りたいなと思います。」

(M.M.さん)

「アメリカは、東から西のカリフォルニアを目指していた時代で、アメリカの激動の時代とも言えますね。1840年代というのは、南北戦争の前で、落ち着いた時代ではないです。」

(濱田さん)

「アメリカ特有の人種構造の時代であり、次回は1850年から60年代の写真が語るアメリカ民衆の衣生活を階級・ジェンダー・人種・民族の視点から見ていきます。丸山先生は世界を股にかけて来られたお立場から、グローバルな視点で、いつもおっしゃられているように、日本語の文献だけでは狭い範囲にしか情報が届きません。そこで、濱田は、グローバルな普及を目指して、『19世紀アメリカの庶民服』に関する本の日本語版だけではなく、英語版も出版する予定です。」

(A.N.さん)

「興味深い内容でした。1点質問があるのですが、ジェンダー研究をしていますが、フランスのレヴィストロースは、18世紀のヨーロッパの服装に触れ、女性の服装で細いウエストをコルセットで締め上げてもっと細くしたいとやっていたら、肋骨が折れて死亡したという記述がありますが、アメリカではどうですか?」

(濱田さん)

「以前に書いた私の著書『パリ・モードからアメリカン・ルックへーアメリカ服飾社会史 近現代編―』に詳しく書いてありますので、ご一読いただければ幸いです。」

(A.N.さん)

「ウエストが細いのが魅力だったのでしょうか?」

(濱田さん)

「誰が言ったかはわからなくて謎です。鋼鉄製のコルセットもあり、最初は浮気ができないようにするためにとか言われていたようですが、なぜ、細胴・太腰が美しいとされたのかについては、根拠は、いまのところ、服飾史上には見当たりません。」

R.O.さん)

「西洋のファッションに目を向けていましたが、アメリカの服飾史もおもしろいですね。最初は、フランスや、イギリスの影響を受けていたはずですが、アメリカらしいファッションを生み出す拠点となる時代だったのでしょうか?

(濱田さん)

「19世紀アメリカの服飾にその萌芽がありますね。『西洋服飾史』という上流階級の服飾を中心とした大学の授業は沢山あります。18世紀のヨーロッパのロココ調のファッションは、上流階級が中心で、衣裳の遺品が博物館などにもあります。でも、中産・下層階級の衣服については、全く実物がないのです。私はJohn D. Rockefeller Jr. Libraryhttps://research.colonialwilliamsburg.org/library
に招聘されて、在外研修員として、下層階級の衣服の遺品調査に携わった経験があります。18世紀のプランテーションで発掘されて、奴隷が使っていた針や鋏などが出てきていますが、テキスタイルは一枚も残っていないので、困難な分野ですが、敢えて踏み込んでいる状態です。

 19世紀は、ゼヴラさんの本があり、埋めていくことができる穴場とも言えます。歴史学と服飾史をドッキングさせてみてください。美術から服飾研究に入るとか、若いみなさんも継承してください。

それと、濱田は、実際に服を作る人が研究することも薦めたいと思います。絵やイラストだけでなく、実際に縫っている人が研究すると、また、ちがうと思います。服作りという実学を軽視し、ファッション文化・表象文化を言説研究の方法で研究・教育されている大学の先生もおられますが、私は理論と実践は、車の両輪であると確信しています。両者の分離は、日本における学問研究のあり方の弱点であると確信しています。また、私が長年、師事させていただいてきた丹野郁先生から、海外に行って、三脚を立てて、写真を撮っていると人が集まってきたというお話を伺ったことがあります。衣服の実物はさることがら、写真は実証資料として、とても大切ですね。」

K.O.さん)

「アメリカのファッションは元はヨーロッパであったと思いますが、変わるのですね。アメリカの生活、風土、自然に寄り添いながらアメリカ風になっていくのがおもしろいですね。

「キャラコ」という言葉を久しぶりに聞きました。どのように残しながら、自分たち用に変えて行ったのかを知るのもおもしろいですね。ネイティブアメリカンの方の写真もあり、シルクを着ていましたね。

(濱田さん)

「今日お見せした写真は、どれも似てはいるけれどヨーロッパとはちがいます。よく見ると美しいのですが、レースも高価なので、リネンの襟もあります。手に入る物でそれなりにおしゃれをしているのですね。Native Americanの方がシルクのドレスを着ていますが、写真家がそれらしく見せるために装飾品を付けさせたようです。事実関係をよく調べてみます。」

(S.H.さん)

「初めてジョン・セヴラさんを知って、また本を読んでみたくなりました。1840年代に服飾の雑誌が出ていることも知りました。上流階級と民衆の服装のちがいなど服飾史を学んでいきたいと思います。」

(濱田さん)

Godeys Ladys Book。この雑誌を大学でもっているところがありますが、あまり厚くて、写真を綺麗にとれません。海外から雑誌を購読して、お金を払ってファッションプレートのデータをダウンロードできます。」

(H.K.さん)

「ありがとうございました。ヨーロッパの服飾は以前から興味がありました。晴れやかだったのが、カジュアルに変わってきましたが。

先ほど西尾さんから質問がありましたが、ウエストをしぼり、コルセットを着けるのは、究極の美と言われていましたね。オーストリアのハプスブルグ家のエリザベートは、腰の周りが50cmなかったと言われています。ダイエット器具を使い、かくれた努力もしていたようです。そして、何よりもウエストが細いというプライドを持っていたようです。

食事を何回かに分けて食べたりして。アメリカでは、コルセットは質素で鯨の骨とかだんだんカジュアルになっていったのでしょうね。階級のちがいもありでしょうが。」

(濱田さん)

「エリザベートは究極の食事制限をしていたようですね。武庫川女子大の卒業生で宝塚に入り、演劇のエリザベートの服を作ったひともいます。」

(H.K.さん)

「今もダイエットをするための木の機械が保存されていると聞いています。

(濱田さん)

「その情報をお聞かせ下さい。1850年代になるとアメリカでは身体にやさしいコルセットに変わっていきます。隠れてコルセットをしない女性も出て来たし、授乳中の女性は締め付けられないですね。このようにコルセットから女性が解放されて行くようです。」

H.K.さん)

「日本の明治維新後の鹿鳴館の絵がありますね。コルセットを着けて。」

(E.T.さん)

「写真を見るだけでも楽しかったです。いろいろ知ることができてよかったです。一見華やかな服装に見えていても身体を締め付けて痛めていたというのを知り、衝撃でした。これからも服装について見ていきたいと思います。男性のファッションの歴史も見てみたいですね。」

(濱田さん)

「今回は、時間の関係で男性の服装は扱いませんでしたが、次回、ご紹介しましょう。一見、きれいだけれど拷問であった女性の服は、今後も服飾が女性に及ぼす影響という点で、目が離せないと思います。」

後日に送られてきた感想集です。

R.O.さん)

「今日は研究会を開いていただきありがとうございました。今まで私の中で服飾と言えば日本や西洋の王族・貴族、上流階級の人々が着る服を思い浮かべておりましたので、とても新鮮でした。

 今、アメリカはNYファッションウィークが開かれるなど、ファッションの中心地のひとつでもありますが、最初の方は(というと言い過ぎかもしれませんが)フランスの影響を強く受けていたことが、中国の影響を強く受けていた日本と少し重なる部分があったように感じ、興味深かったです。

 また、たくさんの写真を使いまさに美術史的・様式論的な方法で服飾の変遷を分析していくのも、勉強になりました。本日は本当にありがとうございました。

(M.M.さん)

先日は誠にありがとうございました。
私はアメリカにおける写真資料という観点からKodakの栄枯衰退も大きな影響があったと思います。
大きな乾式写真というイノベーションを起こし、デジタルカメラの発明をしたのに倒産した、まれにみる社史です。クリステンセンのまさにイノベーションジレンマです。
世界ではAgfa、フジフィルム、コニカミノルタでしたがフジフィルムは医療分野で大きく羽ばたいています。コニカミノルタは写真分野は撤退するものの規模は保っています。
https://www.youtube.com/watch?v=ZUQXLPNV-kU
https://www.youtube.com/watch?v=6uPY-EiFYgE
Youtube
では研究者用ではありませんが、ご紹介させていただきます。

(S.H.さん) 
大学では服飾史を学ぶ機会がなく、この度はアメリカの服飾史について学ぶことができ、貴重な時間となりました。ありがとうございました。今回の講演によって、Joan Severaさんという方を初めて知り、今回紹介されていたYoutubeをもう一度拝見しようと思います。

20世紀のアメリカの服装に比べて、19世紀のアメリカの服装についてはあまり知識やイメージがなく、今回1840年代のダゲレオタイプの写真を見ながら、当時の服装を知ることはとても印象的でした。また、1840年代にすでに雑誌が発行されていることも印象に残りました。今回のテーマであった写真が語る19世紀のアメリカの生活文化を、雑誌のファッションプレートと実際のダゲレオタイプの写真を比較して、当時の上流階級と民衆の服装の差や実態を考察することも、当時の生活文化、服装を理解するために重要だと分かりました。そして、階級別に焦点を当てることの重要性も知ることができました。

R.Y.さん)

○濱田先生が、たくさんの写真を使って説明していただいたので、とてもわかりやすく、興味深かったです。

○濱田先生の立ち位置が、上流階級・特権階級ではなく、働く人々、庶民にしっかり目を向けられていることに、いつも共感し、他の研究者には例をみないと感心しています。

○写真技術の発展史にも触れられていて、個人的には興味深かったし、とても勉強になりました

A.N.さん)

本報告では、まずアメリカ人の衣生活について西洋近代服から初期近代服へのシルエッ トの変遷について概略が示され、次いで、アメリカ服飾史研究において大きな功績を残したJ.セヴラ女史によるアメリカのミドルクラスおよび下層階級の女性服(ドレス)について、袖、胴部など部位別の特徴が考察された。

個人的に大変興味深かったのは、シュミーズ・ローブといわれる非常にシンプルで、スカートの広がりも少なく、動きやすかったと思われる女性服が主流であった 1790 年代1810 年代から、ロマンティック・スタイルといわれる、シュミーズ・ローブとはまるで対照的な袖もふんわりと幅広く、スカートもクリノリンを着用することによって膨らませた、どう見ても動きづらそうな女性服に一気に変わったことである。「王政復古調」ともいわれるこのロマンティック・スタイルには、優雅な女性とそれをまとう女性への回帰が感じられる。

同時に、クリノリンの他、細い腰を作るためのコルセット、ハイヒールなど、ミドルクラスの女性が自らを美しく見せるための工夫を惜しまなかった精神的、時間的余裕をうらや ましく思う反面、それらをまとうことによって自らを「正統な女性」として見せることが当たり前とされていたその時代に生きづらさを感じる。おそらくその時代の多くの女性はそ のように装うことが当たり前すぎて、他の選択肢があることをほとんど想像しなかっただ ろうが。そして、その感覚は、中国で纏足をしていた女性に通じるものがある。さらに、今日の日本でいえば、ハイヒールとパンティストッキングを履いて働く、今では数少ない(?) 女性にも共通する。

 

以上は、本報告の内容をジェンダーの観点から考察した典型的な意見であり、そう捉える自分もいる。うそではない。一方で、正直なところ、「人生で一度くらい、あんなに優雅な女性服をまとってみたい」というアンビバレントな感覚もある。その場合、その衣装をまとった自分を見てみたいという気持ちもなくはない。しかし、それよりはむしろ装うことに時間をかけるその贅沢さを楽しみたい、装ってみることで気分をアップさせたいという気持ちの方が強い。時間的にも精神的にも余裕がなく、日々の仕事に追われているだけの私だからこそ、本報告で扱われた時代とその時代を生きた女性に憧れを抱くのだろう。